村上龍監督おすすめの映画ランキングTOP5
自分が知っている映画の概念もルールのようなものも、すべてがひっくり返されてしまいました。無秩序で、狂乱そのものです。まさしく、観る文学と言える作品群です。残念ながら、あまりにも少ない作品数なのですが、だからこそ永遠に輝くのでしょう。
第5位.村上龍「だいじょうぶマイ・フレンド」
村上龍「だいじょうぶマイ・フレンド」がおすすめの理由
お洒落な音楽が、いつも流れています。ある日突然、空からワクワクする冒険の種が降ってきます。そんなことあるわけないのに、あったらいいのにと強く願いたくなる状況を見せてくれます。でも、あんまり優しくないのかもしれません。厳しいピエロのように、なんだか涙が流れることのない、本当に血が通った人間なのだろうかと疑いたくなるのですが、でも宇宙人なら納得です。役者の姿に、ときどき惑わされてしまうのですが、そこにいるのは異世界人か宇宙人か。とにかく現実の普通の一般人でないことは確かです。考えてみれば、このような非現実的な存在の生命体は、私たちの日常にすでに紛れ込んでいるのかもしれませんが、見分けなんてつきませんよね。なんて無知で無自覚だったのかと思い知らされます。なにも見分けられないくせに、とあざ笑われているかのように距離を感じてしまうこともあり、その突き放された感覚が気持ち良いのです。突き放されて、自分を客観視できるようになる映画です。
第4位.村上龍「KYOKO」
村上龍「KYOKO」がおすすめの理由
人生そのものが旅なのかもしれませんね。生きているだけでも、ロードムービーになるというわけです。けれども絶対に必要不可欠になる存在があります。決して自分の努力だけでは手に入れられるとは限らない存在です。それが、どうしようもなく強い縁で繋がってしまった異性です。この作品では、異性が同棲の中にも垣間見えてくることがあります。自分の中に別人が息をひそめているようで、恐くなってしまうのです。美しい街と空が、今にも絶望的な気分を心に撃ち込んできそうな不安な空気が全編に漂っています。人生はハッピーエンドになるようにできているけれども、その途中経過は無残なものだよ、と村上龍が語り掛けているようです。もちろん村上龍のナレーションなんて存在しませんが、いつだって映像の向こう側には龍の息遣いが身をひそめています。そうなんです、私たちは皆、村上龍だったのです。カメラを覗く監督の視点が、ついに自分と一体化したときに、物語の始まりには見ることのできなかった景色と意味が、明確に分かってしまいます。
第3位.村上龍「限りなく透明に近いブルー」
村上龍「限りなく透明に近いブルー」がおすすめの理由
まずなんといっても素晴らしいのは音楽です。サウンドトラックとして超一級品であり、音楽の壮大なプロモーションビデオとして見れば世界的な名作と言っても良いのではないでしょうか。原作を読んでいる人は、読んだ回数分だけ絶望と希望を堪能できます。なにしろ、この映画を観ていると、何度も何度も気持ち悪くなります。簡単な理由です、映画を観ているからです、本当ならば映画を観ている場合ではないのです。あなたは今すぐ誰かと愛を交わしているべきなのだ、それこそが人間のほんしつてきな性なのだと諭されているような気分になるからです。小説と同様に、悪臭も不潔さも微塵も感じられない清潔な存在感が強烈な違和感を放っています。それにしても、あの暗闇はなんでしょうか。暗闇が気になります。気になって仕方ありません。答を探して、また小説を開いてしまいました。知っているのに、探し始めてしまう、そんなスイッチを入れてくれる映画です。もちろん犯罪者にはなりません。
第2位.村上龍「トパーズ」
村上龍「トパーズ」がおすすめの理由
なんて優しくてもの悲しい映画なのでしょうか。題材になっているのはSMですが、これは人生の悲哀と愛情そのもののような気がしてしまいました。この映画が結晶化したとすれば、美しいパワーストーンになることでしょう。暗闇の中から浮かびあがってくるのは、したたかな人間たちの本能と欲望と絶望です。そこに希望が存在しないように見えるのは、なぜでしょうか。答は途中で明確になります。空気と同じだからです。空気がなければ生きていけない、そんなに大切な存在なのに、私たちは意識することなく呼吸しながら生きているのですから。誰もが見逃してしまうような真実を、あますことなく教えてくれる映画です。私たちは希望を吸って、吐いて、生きているのだと気づかされます。こんなにも希望に包まれながら生きていたんだと、何者かに感謝してしまいたくなるような感動を得られます。どこかで見たことのあるような人たちが、まるで異世界の住人のような存在感を放って現れるのも見どころです。
第1位.村上龍「ラッフルズホテル」
村上龍「ラッフルズホテル」がおすすめの理由
村上龍の最高傑作と言っても過言ではありません。憂鬱な美しい空気が充満し、私たち誰もが預言者になることができるからです。映画を観ているときは、最初は窮屈に感じるかもしれませんが、それはエレベーターに乗っているからです。エレベーターの閉じられた空間に乗り合わせているから、窮屈なんです。でも大丈夫、エレベーターは必ず目的地に到着し、それが何回であろうとも扉を開けて「着きましたよ」と教えてくれます。最初からプールは存在しているのです。誰もが官能に溺れつつ、命を失うどころか生きる喜びに満たしてもらえるプールが。プールサイドでは、心と体の美しい男女だけが存在を許されて、特別な待遇を得られる仕掛けが待っています。つまりそれは、映画を観ているあなた自身です。あなたのためのデッキチェアーが、ほら、そこに用意されています。映画の中なので手を伸ばしても触れませんが、まぎれもなくあなたのためのものです。バブル景気に湧く日本の雰囲気を、しっかりと華麗で憂鬱に描くことに成功してしまった奇跡のような珠玉の映画です。
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